FC2ブログ

どんな世界を創造する?〜罪悪感とゆるし、自立、愛と平和

Sound Artist maco


ずっと、何かのせいにして生きてきた。

 

自分のせいで、

誰かのせいで、

あのことのせいで、、、

 

そうやって、

なにかに「罪」をみいだし、

みいだすことで罪悪を創りだし、

罪を持ち続け、罰しつづけ、

 

自分も、相手も、

そこから動けないように、

しばりつけた。

 

 

 

もうずっと、長い間、

被害者(もしくは加害者という名の被害者)でいることで、

愛されよう、愛さようと、コントロールし、

 

そうすることで、

すでに与えられている愛を受け取らずに、

愛されない不幸な自分であることを、

自ら選びつづけて生きてきた。

 

 

 

ゆるさないでいることで、

自分も過去にとどまったまま、

幸せになることをゆるされず、

 

自ら、罪という鎖にしばられて、

過去におきざりにされ、

死んだように生きてきた。

 

いや、生きてなどいなかった。

わたしは亡霊だった。

 

 

 

 

 

わたしがゆるそうがゆるすまいが、

相手は、まったく罪など感じず、

とうに自由に生きているのに気づいたこともあった。

 

自分が被害者という仮面をかぶり、

相手に対して見出した「罪」を抱えて生きることで、

 

ほんとうに、罰されていたのは、

ほんとうに、不自由だったのは、

自分だったのだと、

 

自分の人生を自分で無駄にしたのだと、

自分を殺し続けて生きてきたのだと、

気づいたその時、

 

あまりにばかばかしくて、

そして、あまりに情けなくて、

狂ったように大笑いしながら、

号泣した覚えがある。

 

 

green line green line green line green line green line green line

 

 

人間という生き物は、

この「罪」という概念を使って、

 

不幸を創りだし、

争いを創りだしてきたのだと思う。

 

 

そして、個人間であれ、国家間であれ、

あらゆるレベルで、このことが行われてきたのだと思う。

 

 

 

 

「普通」「常識」「正義」という名の、

極めてあやふやな名目のもとに、

 

罪をもちだして、裁きあい、傷つけ合うならば、

 

争いはシーソーゲームのように継続し、

永遠に、平安など訪れようもない。

 

 

 

 

「罪」を創りだすことで、これまで続けてきた、

善悪、正誤といった、二元性にもとづく支配ゲーム、

 

無意識の欠乏と不足から創造する時代が終焉をむかえ、

 

無条件の愛、豊かさ、よろこびから、

共同創造する時代へと移り変わってきている。

 

 

green line green line green line green line green line green line

 

 

なにかしら、

歪みが生まれてしまった時に、

ほんとうに、責任をとるとは、

 

罪を握りしめ、あるいは背負い、

自分や誰かやなにかを責め続けることで、

自分や誰かを窮屈に閉じ込めて、

不幸にししつづけることではないと思う。

 

 

 

もしも、わたしにこどもがいて、

そのこどもが、罪にしばられ、

自分や誰かや何かを責めるような生き方をしていたら、

わたしは子どもになんと言ってあげるだろうか。

 

 

天国の母は、他界する数カ月前、わたしにこういった。

 

「ぐずぐず言いよらんで、シャンとせんね!!」

 

甘さや、やさしさのかけらもないけれど(笑)

あれは、愛以外のなにものでもなかったと、今は分かる。

 

 

罪という泥沼にはまったままで、

嘆いていてもなにもかわらない。

 

自分の足で、そこから出て、汚れを洗い流して、

志をもって、自分で選んで、歩いて行きなさい。

 

ほんとうに反省したのなら、

とことん幸せになりなさい。

 

ほんとうに、いのちを輝かせて「生きて」いきなさい。

 

 

 

今は、わたしなりに、そう「解釈」している。

 

 

 

 

反省するとは、

罪をにぎりしめ、

過去に居座り続けることではない。

 

 

ゆるし、志を持って、前を向いて、誇り高く、

今を大切に歩いてゆくことだ。

 

 

ドラマの中に沈み込んでいくのをやめて、

「今ここ」を存分に生きることだ。

 

 

 

 

 

なにが罪であり、なにが正しいか、

なにが普通で、常識か、

 

時代や場所はもちろん、

人によって、

いくらでも変わっていく。

 

 

自分が選んだ価値基準に、

人は縛られて生きている。

 

選んだ概念の世界を自ら体験する。

自ら創造している。

 

 

 

 

自分が幸せでいることを選ばない限り、

誰も幸せになどしてくれはしない。

 

ほんとうに、自分を幸せにできるのは、

自分しかいないのだから。

 

自分が幸せか不幸か、

選んでいるのは自分なのだから。

 

 

そのことを引き受けた時、

 

自分は、自分の世界の創造者となり、

 

外側に映る、自分以外のすべては、

幸せの種であり、花となる。

 

 

green line green line green line green line green line green line

 

 

わたしは、わたしたちは、この地球は、

今、大きな変わり目の時を迎えている。

 

 

 

 

あなたはどんな世界に住みたいだろうか。

 

そして、どんな世界を、

つづく世代や、

すべての生きとし生けるものへ、

渡していきたいだろうか。

 

 

 

 

ただただ、愛があり、平和で、

多様な輝きと、よろこびが溢れ、

あらゆるいのちが豊かに栄え続ける世界。

 

だれもが、すべてが、自由に、自分のいのちを輝かせ、

つながりあい、わかちあって、生きることができる、

めぐりめぐる「ひとつ」の世界。

 

わたしの創りたい世界に、罪は存在しない。

 

 

だから、罪悪という考え、

それそのものを手放す。

 

そうすることで、

苦しみをなくし、争いを手放す。

 

問題をわざわざ見出して、

創りだすことを、もうやめる。

 

 

すべてがOKであることをみて、

自分も他者も自由にし、共に創造しつづけていたい。

 

 

 

今は、あの家に生まれたことも、

そこから数々の苦しみの体験を重ねてきたことも、

自分がこういう人間であることも、、、


起こったこと、であったもの、

これまでのすべてが、
それでよかったのだと思えている。

 

(時々、ぶれて、そう思えなくなることも、またOKだ。)

 

 

バラ green line green line green line バラ green line green line green line バラ

 

 

自分が住みたい世界に住むためには、

まずは、自分が、今ここから、

その生き方を始めることだ。

 

ひとりひとりの意識が集合的な意識となって、

共に、この世界を創造している。

 

 

不足や欠乏の幻想を越えて、

愛から生きることができれば、

 

罪や恐れで縛り、制限し、

コントロールする必要は、

まったくなくなるだろう。

 

 

本来、いのちは自ずと、

調和するようにできているものだ。

 

その裁きのない、無条件の愛の大地のもと、

よろこびの花をさかせていきたい。

 

 

 

 

わたしの中の、

 

罪を、恐れを、不足を、欠乏を、

受け容れ、癒し、慈しみ、

愛と光に昇華させ、

 

よろこびに、咲いていたい。

 

 

わたしを含む、世界のすべてに、

 

あなたは、いつだって、愛されているし、

あなたは、そもそも、愛そのものなのだと、

 

伝えていたい。

 

 

 

そして、

 

ただただ、いのちのままに音祝いでいたい。

 

 

 

関連記事
スポンサーサイト



Posted bySound Artist maco

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply